学校統合と閉校に向けて

2014年11月の記事一覧

閉校が近づき、生徒の意識も変わってきています

敷地造成のための伐採作業が開始されたり、村広報に統合中校舎パースが載せられたりと、統合に向けての動きが具体的に見えるようになってきました。
これに合わせ、少しずつ生徒の心に閉校へ向けての思いが高まってきています。
11月20日に行われた、石川中学校PTA主催「第54回石川地区中学校弁論大会」では、本校の2年生大和くんが「最後の卒業生として」というタイトルで、閉校に向けての思いを発表してきました。こういった思いを共有し、閉校に向けた作業を一つずつ進めていきたいと思います。PDFファイルでご覧いただく場合はこちらをクリックしてください。

 最後の卒業生として 大和くんの弁論原稿.pdf



     最後の卒業生として           平田村立小平中学校二年     
   「最後の卒業生…。」
  再来年の四月、僕の通っている小平中学校は、蓬田中学校と統合し、「平田村立ひらた清風中学校」が新設されます。僕たち二年生は、小平中学校最後の卒業生になるのです。
 毎年十月に開催されている学校祭には、たくさんの先輩方がいらっしゃいます。いつか自分も後輩たちが頑張っている姿を見に来れるのかなと、先輩方の姿を見て、そう思っていましたが、僕たちには母校を訪れることはできないのです。思い出のつまった歴史ある母校が閉校してしまうのは、とても悲しく残念です。
 僕の母も、小平中学校の卒業生です。母は子どもが、母校に通っているのが、とても嬉しいことだと言っています。
 母は授業参観で学校に来る度に、生徒だった頃を思い出すようです。校舎までの長い登校坂。今でも歌える校歌。一生懸命、白球を追ったテニスコート。新しい体育館での初めての卒業式…母の思い出は、卒業から二十年以上経った今でも色鮮やかによみがえってくるようです。
 母だけではなく、地域のたくさんの方々も僕の大先輩です。そんな中、僕たちは、小平中学校の長い歴史の最後にふさわしい卒業生になれるのか、だんだん不安になってきました。
  僕たちの国語の先生も小平中学校の卒業生です。その先生が昨年担任していた先輩方が、今年の春、卒業し、小平中学校を巣立っていきました。先生のクラスは、何事にも一生懸命で、団結力があり、男女問わず、みんなで協力し合っていました。僕は、そんな先輩方にとても憧れを抱いていました。
 あるとき、国語の授業で、先生にこんなことを言われました。
「最後の卒業生になるということを自覚するように。」
 度重なる忘れ物や、宿題をやってこない人が多いからです。一人ひとりが自分のやるべきことに責任を持てなければ、クラスや学校全体のことに責任を持って取り組むことはできないと思います。後輩達にもそんな姿を見せるわけにはいきません。
 しかし、そんなクラスの状況があっても、僕は積極的に注意したり、行動したりということができません。学級委員なども今まで、人任せにしてきました。
 「このままではいけない。」と思いながらも、自分に自信が持てず、責任のあることからなるべく逃れようとしていたのです。
 そんな僕が、この夏、野球部の部長に指名されました。しかし、上手くチームをまとめることができるのか、とても不安でした。
 部長になった僕は、まず、部長の僕が部員達の手本になればよいと考えました。アップの時も練習中も、誰よりも大きな声を出すように心がけました。しかし、自分が手本になるだけでは上手くまとまりませんでした。そこで僕は、部員の声が出ていなかったら、きちんと注意をしようと考えました。すると、少しずつではありますが、大きな声を出すように心がける部員が増え、部がまとまるようになったのです。副部長や同級生がサポートしてくれて、とても感謝しています。
 お互いがお互いを注意し合うことは、クラスの中でも重要なことです。やるべきことができていないのであれば、きちんと注意し合う。嫌な思いをしていたり、困っている人がいたりしたら助け合う、ということをクラスの一人ひとりが意識し、行動していけば、憧れの先輩方のような素晴らしいクラスになれると思います。
 小平中学校には、「ファーストペンギン・プロジェクト」という伝統があります。これは、「勇気を持って積極的に行動しよう」という取り組みです。僕たち二年生、一人ひとりが「ファーストペンギン」となって、先輩方のような、他に誇れる、よりよい集団作りを目指していきたいと思っています。
 「最後の卒業生」というプレッシャーもありますが、次の時代を築いていく後輩達のためにも、これから、僕たち二年生が頑張り、輝く姿を後輩達の目に焼きつけていきたいです。