学校統合と閉校に向けて

学校統合と閉校に向けて

統合中学校の校章デザインの公募が始まりました

平田村教育委員会では、統合中学校の校章デザインを公募しています。
平田村教育ポータルサイトトップの 「教育委員会から」 から入ると、そのお知らせ記事を見ることができ、応募要領と応募用紙もダウンロードできるようになっています。
誰でも応募することができますので、ぜひ、チャレンジしてみてください。
本日、本校生徒にも用紙を配付します。どんなデザインができるのか楽しみです。
平田村教育委員会のこの記事へのアクセスする場合はポータルサイトトップに移動するか、次をクリックしてください。
 
  平田村教育ポータルサイト 「統合中学校 校章デザインを募集します」

村広報に「ひらた清風中学校完成予想図」が載せられています

11月10日に発行された村広報「ひらた」にひらた清風中学校完成予想図と校歌の作詞者・作曲者が決定した記事が載せられました。
この記事を見ると統合中のイメージが膨らみ、完成が待ち遠しく感じられます。

広報のバックナンバーは村のホームページからご覧いただくことができます。
ぜひ平田村のホームページもご覧ください。
この記事のみご覧になる方は、次のタイトルをクリックしてください。

   ひらた清風中学校基本設計.pdf

3年生は閉校への寂しさを感じていました…

7月5日に、平田村少年の主張大会が行われ、本校3年宗像さんと2年生の草野さんがそれぞれ感じていること、考えていることを主張としてまとめ発表してきました。
宗像さんは、「大切な母校」というテーマで閉校に対する思いを述べています。
3年生だけではなく、卒業生の皆さんに通じる思いで、共有していただけるのではないでしょうか。
PDFファイルでもご覧いただくことができます。
 
   大切な母校 宗像さん少年の主張原稿.pdf  



 大切な母校 
                                     平田村立小平中学校 三年 

  私の通う小平中学校は、もうすぐ閉校します。同じ村内の中学校と統合されて新たに「ひらた清風中学校」となるのです。
 この話を初めて聞いた時は、耳を疑いました。以前から閉校の話はありました。しかし、「ずっと先のことだ」と楽観的に考えていました。大好きな母校がなくなってしまう…私は寂しさや悲しさ、そして憤りの気持ちで胸がいっぱいになりました。
 小平中学校は、全校生徒八十二名の小さな学校です。でも、先輩後輩関係なく、みんな仲良しで、いつも明るい、いい学校です。部活や行事にもみんなで積極的に参加し、盛り上げています。
 このいつも笑顔の絶えない、明るい小平中がなくなってしまうのです。私は、この現実を受け入れることができませんでした。
 私の学校には、卒業した先輩がよく訪れます。そして、後輩たちや先生方と懐かしそうに話をしたりしています。私は、そんな光景に憧れを抱いていました。
 しかし、閉校になってしまったら、そんなことはできなくなります。自分が帰ってくる場所がなくなると思うとつらくなりました。
 それにもう一つ、私が恐れていることがあります。それは、小平中学校がみんなに忘れられてしまうということです。閉校になれば、知名度はグンと落ちるでしょう。いつか、「小平中」と名前を出しても、分かってもらえなくなる日がくるかもしれません。私は寂しい気持ちになりました。
 私は、そんな気持ちを母に相談してみました。母も、小平中学校の卒業生です。きっと私の気持ちを分かってくれる…そう思ったからです。私の気持ちを聞き、母はこう言いました。
「確かに、母校がなくなるのは寂しいことだけど、それによってよい方向に変わることもきっとあるよ。」
 私は、母の言っていることの意味が分かりませんでした。閉校することは悲しくて、つらいことだとばかり思っていた私には、母の言葉はあまりにも楽観的に聞こえました。
 しかし、母のように、閉校を前向きに考えている人は、他にもたくさんいたのです。
 学校では、新たな試みとして、ホームページが開設されました。閉校まで時間がないですが、小平中のよさを伝えたい、そして閉校に向けて、卒業生の声を集めたい、そのような思いからの開設だと思います。
 そして、妹の言葉が私の考えを変えました。「統合したら、蓬田中の人たちとも一緒になるよね。友達が増えるのが楽しみ。」
と妹は言ったのです。私は、その考え方に驚きました。そのような発想は、私にはまったくなかったからです。このとき、ようやく母の言った言葉の意味が分かったような気がしました。
 小平中学校が閉校になるのは、とても寂しいです。とても嫌です。でも、その事実から目を背けたままではだめなのです。事実を受け入れ、前向きに考えていかなければならないのです。閉校になっても、この小平中学校で過ごした大切な思い出まで失うわけではないのですから。
 私は、この大好きな小平中学校をずっと忘れません。閉校になっても、ずっと忘れません。だから私は、悔いの残らぬよう、中学校生活最後の一年を、何事にも積極的に取り組み、楽しく過ごそうと思います。そして、小平中学校の卒業生としての誇りをもって生きていきたいです。小平中学校は永遠に私の大切な母校です。

閉校が近づき、生徒の意識も変わってきています

敷地造成のための伐採作業が開始されたり、村広報に統合中校舎パースが載せられたりと、統合に向けての動きが具体的に見えるようになってきました。
これに合わせ、少しずつ生徒の心に閉校へ向けての思いが高まってきています。
11月20日に行われた、石川中学校PTA主催「第54回石川地区中学校弁論大会」では、本校の2年生大和くんが「最後の卒業生として」というタイトルで、閉校に向けての思いを発表してきました。こういった思いを共有し、閉校に向けた作業を一つずつ進めていきたいと思います。PDFファイルでご覧いただく場合はこちらをクリックしてください。

 最後の卒業生として 大和くんの弁論原稿.pdf



     最後の卒業生として           平田村立小平中学校二年     
   「最後の卒業生…。」
  再来年の四月、僕の通っている小平中学校は、蓬田中学校と統合し、「平田村立ひらた清風中学校」が新設されます。僕たち二年生は、小平中学校最後の卒業生になるのです。
 毎年十月に開催されている学校祭には、たくさんの先輩方がいらっしゃいます。いつか自分も後輩たちが頑張っている姿を見に来れるのかなと、先輩方の姿を見て、そう思っていましたが、僕たちには母校を訪れることはできないのです。思い出のつまった歴史ある母校が閉校してしまうのは、とても悲しく残念です。
 僕の母も、小平中学校の卒業生です。母は子どもが、母校に通っているのが、とても嬉しいことだと言っています。
 母は授業参観で学校に来る度に、生徒だった頃を思い出すようです。校舎までの長い登校坂。今でも歌える校歌。一生懸命、白球を追ったテニスコート。新しい体育館での初めての卒業式…母の思い出は、卒業から二十年以上経った今でも色鮮やかによみがえってくるようです。
 母だけではなく、地域のたくさんの方々も僕の大先輩です。そんな中、僕たちは、小平中学校の長い歴史の最後にふさわしい卒業生になれるのか、だんだん不安になってきました。
  僕たちの国語の先生も小平中学校の卒業生です。その先生が昨年担任していた先輩方が、今年の春、卒業し、小平中学校を巣立っていきました。先生のクラスは、何事にも一生懸命で、団結力があり、男女問わず、みんなで協力し合っていました。僕は、そんな先輩方にとても憧れを抱いていました。
 あるとき、国語の授業で、先生にこんなことを言われました。
「最後の卒業生になるということを自覚するように。」
 度重なる忘れ物や、宿題をやってこない人が多いからです。一人ひとりが自分のやるべきことに責任を持てなければ、クラスや学校全体のことに責任を持って取り組むことはできないと思います。後輩達にもそんな姿を見せるわけにはいきません。
 しかし、そんなクラスの状況があっても、僕は積極的に注意したり、行動したりということができません。学級委員なども今まで、人任せにしてきました。
 「このままではいけない。」と思いながらも、自分に自信が持てず、責任のあることからなるべく逃れようとしていたのです。
 そんな僕が、この夏、野球部の部長に指名されました。しかし、上手くチームをまとめることができるのか、とても不安でした。
 部長になった僕は、まず、部長の僕が部員達の手本になればよいと考えました。アップの時も練習中も、誰よりも大きな声を出すように心がけました。しかし、自分が手本になるだけでは上手くまとまりませんでした。そこで僕は、部員の声が出ていなかったら、きちんと注意をしようと考えました。すると、少しずつではありますが、大きな声を出すように心がける部員が増え、部がまとまるようになったのです。副部長や同級生がサポートしてくれて、とても感謝しています。
 お互いがお互いを注意し合うことは、クラスの中でも重要なことです。やるべきことができていないのであれば、きちんと注意し合う。嫌な思いをしていたり、困っている人がいたりしたら助け合う、ということをクラスの一人ひとりが意識し、行動していけば、憧れの先輩方のような素晴らしいクラスになれると思います。
 小平中学校には、「ファーストペンギン・プロジェクト」という伝統があります。これは、「勇気を持って積極的に行動しよう」という取り組みです。僕たち二年生、一人ひとりが「ファーストペンギン」となって、先輩方のような、他に誇れる、よりよい集団作りを目指していきたいと思っています。
 「最後の卒業生」というプレッシャーもありますが、次の時代を築いていく後輩達のためにも、これから、僕たち二年生が頑張り、輝く姿を後輩達の目に焼きつけていきたいです。